聖ジェンナーロとナポリ

ナポリの街を守る聖人と市民との絆

それは今も書き綴られていく世界で唯一の物語

ナポリに住む人々のことを「天国に住む小悪魔たち」と評した人がいる。澄み切った空と海の間で人生を満喫しているナポリ人は、まさにいたずらな小悪魔と呼ぶにぴったりだ。

騒々しくて、退屈を嫌い、規則を無視することを楽しむ。その割には人情深くて、センチメンタル。そのくせ、いざ本気になったらどんな分野でも右に並ぶ者なし。

それがナポリ人。

そんなナポリ人が敬愛するのが、聖ジェンナーロ。

なにかことが起こるたびに「サン・ジェンナール、サン・ジェンナール!   ピィエンサチトゥ」(聖ジェンナーロ、あんたに任せたぞ)と口にする。祈るというより芝居のセリフのようだ。

 

聖ジェンナーロは3世紀頃に迫害を受け殉教した実在の人物であり、生前から数々の奇跡を起こしたと伝えられている。しかし彼には、聖人と聞くと想像される、苦難、我慢、懺悔などの、良く言えば真面目な——悪く言えば暗い——宗教のイメージは全くない。型にはまらないナポリ人にぴったりの聖人だ。

 

キリスト教は311年まで禁教であったので、当時のキリスト教徒は激しい弾圧を受け、改宗しない者には残虐な刑が待っていた。

南イタリアのベネヴェントの司教だった聖ジェンナーロもカンパ―ニア統治者のドラゴンツィオによって捕えられ、ライオンに食い殺されることになった。しかし猛獣は彼の前に来ると猫のようにおとなしくなってしまった。

次に、窯の中に放り込まれた。しかし聖人は着物の裾さえ焦げ跡をみせず出てきた。

怒り苛立ったドランコンツィオは聖人に首切りの刑を言い渡す。

305919日、ついに聖ジェンナーロはナポリ近郊のポッツォーリで短い生涯を閉じた。

しかし、これはキリスト教の歴史の中でも最も不思議な奇跡の中のひとつとされている「聖ジェンナーロの血の奇跡」の始まりだったのである。

 

当時の殉教した人の血液を保管する習慣に従い、聖ジェンナーロの血も小瓶に詰められた。普段は凝固しているその血が、年に3回液状化するのだ。目に見えて非常にわかり易い——それでいて説明のつかない、ナポリらしい奇跡である。

ナポリにとって、また世界中に散らばるナポリ人にとって、この奇跡が繰り返されるか否かはとても大切なことだ。

なぜなら奇跡の起きなかった時は必ず不幸が街を襲ったからだ。

 

聖ジェンナーロがナポリの守護聖人になったのは1527年のことである。

1526年から1527年にかけて、ナポリは3つの重大な危機に陥っていた。フランスとスペインとの戦いに巻き込まれ、さらに死病ペストが街を襲い、そのうえ街を見下ろしているヴェズヴィオ火山が、火を噴き出し始めたのである。

窮地に立たされたナポリ市民は、聖ジェンナーロに街の保護を委ね、新しい礼拝堂を建てて崇めることを約束したのだ。

博物館の入口には、その時にナポリ市民が聖人と交わした誓約書が飾ってある。

姿形のない何百年も前に亡くなった人物と大真面目に公証人を立てて誓約を交わす。なんという現実味に溢れた空想力だろう!ナポリ人ならではの発想だった。

残念ながら、(当然のこととは言え)聖ジェンナーロは誓約の場に姿を現さなかった。しかし聖人は市民との約束をしっかりと守ったのである。戦が終わり、死病ペストも収まり、ヴェズヴィオ火山の火は消え、街に平和が戻ってきた。

 

危機を乗り越えたナポリ人は礼拝堂造りに熱中した。建設費用は全て市民が出し、教会側からの寄付は全くなかった。そのことは、今もナポリ市民の誇りとなっている。

聖人への祈りは、司祭を通さず直接届く。教会は信じないが、聖ジェンナーロは信じる、という人が多いのもなんとなく頷ける気がする。

 

デプタツィオーネという機関も生まれ、400年以上の時を超えた今でも聖遺物と礼拝堂、聖人に捧げられた数々の宝を守っている。

 

その後、街に危機が訪れるたびにナポリ人は聖人に祈って乗り切ってきた。

 1631年、ヴェズヴィオ火山が火を噴いて街を焼き尽くそうとした時も、人々は聖血と聖遺物を担いで火山に登り祈った。

すると、溶岩は街に入る寸前で止まったのだ。

聖人の血が液体化するのは、彼の殉教記念日である919日、5月の第一日曜の前日、そしてこの噴火を止めたとさせる1216日の3回である。

 

そんな聖人に、歴代この地を治めてきた王族・貴人たちが宝を捧げてきた。大切な人には精一杯心のこもった贈り物をするようにと、金・銀・宝石を惜しまず使われた。また最高の技術を持つナポリの職人達によって、それらは世界に類を見ない芸術品に作り上げられた。

1679年、デプタツィオーネは聖人の骨が収められた銀の胸像を飾る首飾りの制作をミケーレ・ダートに依頼した。それに時代と共に数々の王族や有力者から寄贈された宝飾品が加わり、現代に見られる姿となった。

世界で一番貴重だと鑑定されているこの首飾りは信じられないほど大きいダイヤモンド、サファイヤ、エメラルドなどの宝石で燦然と輝いている。

また、世界で最も高価な物と鑑定されているのが聖ジェンナーロの金の司教冠だ。3,328個のダイヤモンドと198個のエメラルド、それに168個のルビー、計3694個に上る宝石の豪華さにため息が出る。

ナポリがいかに裕福であったか、聖ジェンナーロがどれほど敬愛されていたかがわかる。

他にも館内には絢爛豪華な宝飾作品が並んでいる。聖ジェンナーロに捧げられた宝は、イギリスのエリザベス女王やロシアの皇帝のよりも豊かで貴重であると鑑定されている。

 

また、礼拝堂は祭壇上部左右にオルガン、入口の上部左右にはコーラスが取り付けられ、四か所からなる音源の相乗効果を考えて設計された世界で初めての音楽堂である。

祭壇に向かって左側のオルガンは、1649年に造られた。 ナポリで一番古いオルガンである。チマローザ、スカルラッティ、ドゥランテ、ペルゴレージなどのナポリ派を代表する音楽家達がこのオルガンを演奏し、今も尚、その温かい音色を聞かせてくれている。


ナポリ人の誇りが、芸術が、想いがこの場所には深く響いている。世界で唯一、市民が街を愛するために造られた宝が——彼らの心の結晶とも言える宝が、ここには詰まっているのだ。

ナポリを訪れたら、ここに立ち寄ってほしい。そしてそっと「サン・ジェンナール、サン・ジェンナール」と囁いて欲しい。

 

きっと、ナポリ人のように人生を楽しむ気持ちが湧いてくるだろうから。